もとぶ町営市場について

 もとぶ町営市場は沖縄県の北部、本部町の渡久地港のほとりにあるにある沖縄県最北のちいさな公設市場です。その歴史は明治ごろまでさかのぼります。

本部町・渡久地港の発展とともに

満名川のほとりの小さな港町だった渡久地の町は、明治30年ごろまでには名護に次ぐ発展を遂げていました。明治33年の琉球新報の記事につぎのような記述があります。

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『本部に5,6年前とは打て変り、今や国頭地方第二の都会と相成候。雑貨店も八軒程有之、料理屋もい三軒ありて頗る繁盛の様見受られ候。』

また明治41年の記事には「渡久地市場」付近で火事があったという記述も確認できます。

この明治40年ごろからはカツオ漁もはじまり渡久地港周辺はどんどんにぎやかになっていきました。

戦後から海洋博

太平洋戦争中は市場付近に弾薬集積所があったことで10・10空襲の際に爆撃されました。

戦争が終わると人々の生活をささえる闇市として再スタートが始まります。

昭和26年ごろには渡久地港からは伊江島や伊是名伊平屋などの離島航路も発着しており周辺離島からの買い物客や周辺市町村からのお客さんで大変な賑わいでした。盆正月は買い物客でごった返し夜まで大変な人出だったと聞いています。

1975年昭和50年には海洋博覧会が本部町で開催され、その建設中から開催期間には工事関係者や博覧会場で働くコンパニオンさんたちの買い物場所として利用されました。化粧品などがよく売れたそうです。

しかし、海洋博ブームもさり、町内にスーパーマーケットが開店するなどして徐々に市場のお客さんは減っていきました。店主の高齢化などもありかつての賑わいは失われていきます。渡久地港発着の離島航路も水納島線だけになり、カツオ漁船も少なくなりつつありました。

もとぶ手作り市から市場の再募集まで

2007年平成19年、空き店舗も増え新規の出店募集も町が行わなくなった本部町営市場はシャッター商店街になっていました。その市場を活用して賑わいを取り戻そうと市場の人たちと町内外の手作りの工芸作家さんなどが集まり「もとぶ手作り市」が始まりました。

当時現在のようにマルシェイベントがあまり一般的ではなかった時代で、県内でも最初期のマルシェイベントということもあり徐々に認知度があがり出店者も、お客さんも県内各地から訪れるようになりました。テレビや新聞雑誌などの取材も多くそれにともないもとぶ町営市場の認知度も高くなっていきました。

そのような状況で市場通り会と本部町と商工会などが話し合いを進め空き店舗の再募集がスタートすることになりました。募集が開始されると毎回多くの出店希望があり、市場は空き店舗ゼロになり個性的なお店が集まるようになりました。

2024年現在 取り壊し問題

それからそれから17年が経った現在、もとぶ町営市場は取り壊し問題で揺れています。2024年7月に建物の耐力度診断の結果、基準を下回り取り壊す旨のお知らせを町から説明されました。この17年間の間、将来の市場についての意見聴取や話しあいは1度も行われたことがありませんが、市場入居者はできるだけ早く退去するようにという説明のみです。

取り壊し問題が発生する前のタイミングで長年入居していた店舗が引退するなどがあり、現在その店舗数店が空き状態になっており、昔のシャッター市場に戻ってしまったような状態です。町は現在、取り壊しを理由に空き店舗の再募集をかけておらず、今後数年このような状態が続くものと思われます。

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